小西一郎さん(昭和62年卒)より、日本寮歌祭の参加報告をいただきましたのでご紹介させていただきます
第64回日本寮歌祭に参加して
小樽商科大学 昭和57(1982)年入学 小西 一郎
2024 年11 月24日(日)11時からアートホテル日暮里ラングウッドで、第64回日本寮歌祭が 開催されました。小樽高商(商大)が初めて参加した同寮歌祭についてご報告します。
参加数は、旧制高等学校・専門学校等名で北は北大予科から南は台北帝大予科まで60校、 274 名(参加者名簿から)。旧制ということで、東亜同文書院大学等や、陸軍士官学校(※1)と海軍 兵学校(※2)など、今は海外である地にあった高等教育機関や軍学校が参加しました。
小樽高商の参加者は10名。四高27、長崎高商24、拓大予科16、愛大予科16、早稲田14、 七高造士館14、一高12、山口高商12、高知高11、小樽高商10、静岡高10、甲南高10、北 大予科9、神宮皇大予科9の順で、初参加乍ら10位タイでした。日本寮歌祭の経緯、寮歌の 狭義を鑑みる時、我々が唄うべきは高商時代に創設された北斗寮・正氣寮・文行寮・玉の井寮 の、或いは智明寮のそれぞれ寮歌だったかも知れません。しかし、昭和40年代以降最も愛唱 されてきた「若人逍遥の歌」とし、55番目に登壇しました。2018年入学・商大応援団第105 代団長の谷口貴彦が前口上を朗々と読み上げ、正氣寮の旗を振る中、逍遥歌の一番と四番を斉 唱、谷口の先導によるフレフレ商大、フレフレ寮歌祭で締めました。我々の一つ前の兄弟校で ある北大の時には、小樽勢も全員登壇して「都ぞ弥生」を一番から五番まで唄いました。私個 人では、学生帽と下駄姿で登壇して二高「天は東北」、五高「武夫原頭に」、七高造士館「北辰 斜め」を、撮影し乍ら早稲田「都の西北」、三高「琵琶湖周航の歌」を唄って来ました。参加 人数、会場に轟かせた蛮声等、小樽高商(商大)の存在感を示すことが出来たと思います。
小樽高商(商大)のテーブル
小樽高商の参加者は10名。四高27、長崎高商24、拓大予科16、愛大予科16、早稲田14、 七高造士館14、一高12、山口高商12、高知高11、小樽高商10、静岡高10、甲南高10、北 大予科9、神宮皇大予科9の順で、初参加乍ら10位タイでした。日本寮歌祭の経緯、寮歌の 狭義を鑑みる時、我々が唄うべきは高商時代に創設された北斗寮・正氣寮・文行寮・玉の井寮 の、或いは智明寮のそれぞれ寮歌だったかも知れません。しかし、昭和40年代以降最も愛唱 されてきた「若人逍遥の歌」とし、55番目に登壇しました。2018年入学・商大応援団第105 代団長の谷口貴彦が前口上を朗々と読み上げ、正氣寮の旗を振る中、逍遥歌の一番と四番を斉 唱、谷口の先導によるフレフレ商大、フレフレ寮歌祭で締めました。我々の一つ前の兄弟校で ある北大の時には、小樽勢も全員登壇して「都ぞ弥生」を一番から五番まで唄いました。私個 人では、学生帽と下駄姿で登壇して二高「天は東北」、五高「武夫原頭に」、七高造士館「北辰 斜め」を、撮影し乍ら早稲田「都の西北」、三高「琵琶湖周航の歌」を唄って来ました。参加 人数、会場に轟かせた蛮声等、小樽高商(商大)の存在感を示すことが出来たと思います。
日本寮歌祭は、昭和36(1961)年 10月7日文京公会堂で開催されたのを嚆矢とします。爾 来60有余年。昭和は終わり平成も過ぎ、世は令和となりました。幾度かの中止、各校からの 分担金等や派遣人員に支えられた組織による運営から会費制への変更、草創期に中心となられ た旧制から新制大学出身者への世代交代等々、幾多の困難や変遷を乗り越え、中止の年も数え て今年で64回となりました(※3)。先達のご尽力に深く敬意を表し、今大会の関係者の皆様に心よ り感謝を申し上げます。
長崎高商(長崎大学経済学部)の登壇
寮歌祭の存続と発展には参加人数の拡大が必要。其れには、8,000円の会費について一考する余地があろうかと存じます。
東京のホテルの宴会場を4時間半使用するのですから、費用は高いものになりましょう。一 方で、参加校の所在地は、極一部を除き東京以外となります。旧制の頃は卒業後に東京の大学 に進学する方も多かったでしょうが、新制に移行して其れもなくなりました。更に、近年は地 元志向が強くなり、大学進学も就職も出身地域という学生が増加して居ります。地方からの参 加には、会費に加えて旅費が掛かります。日本寮歌祭の弥栄いやさかの為に、ご検討頂ければ幸甚に存 じます。
寮歌について、日本寮歌祭は「(前略)一般に、寄宿舎の年次創立記念祭の折、寮生自身の 手になる記念祭歌を主として、校歌・運動歌・応援歌・逍遥歌・送別歌・壮校歌などを含」む とし、「(前略)旧制高校生の意識や思想、心意気が反映また投影され(中略)その特色は、寮 に継承された自治・自立の伝統の謳歌、人生観・国家観・世界観、また寮生の胸中に溢れる青 春の憧れや悩み、友情、真理探究など、さまざまな学生生活の哀歌が歌われ」たものとして居 ます(※4)。寮歌と密接な関係がある旧制高校の蛮カラ主義は、同種のものが英国ビクトリア朝の パブリック・スクールや米国ニューイングランド東部の大学(※5)、ドイツの友愛会フラタニティ (※6)での学生生活 にもあったことから、洋の東西を越えた普遍性が有りました。寮歌という芸術、其れを唄うこ とで実現する文化が確実にあります。
正氣寮の先輩は、寮歌祭のあの雰囲気は独特なもので、すぐさま昔に戻してくれるとお書き になられました。寮歌を吟ずる時、其の胸中に湧き出いづる感慨は、清代の詩人である袁枚えんばいの詩と 同じものでありましょう。
※1日本寮歌振興会編『日本寮歌祭四十年史』、 国書刊行会、2000、p.205 陸軍士官学校は昭 和39(1964)年の第4回から参加。
※2『同上書』、p.438 海軍兵学校は昭和41(1965)年の第6回から参加。
※3日本寮歌祭の歴史については『同上書』、p.62~85 『第59回日本寮歌祭』パンフレット、 2019、p.4 此れ等から、
少なくとも昭和63(1988)年、平成23(2011)年から30(2018) 年、令和4(2022)年は中止となって居る。
※4『第59回日本寮歌祭』パンフレット、2019、p.②
※5ドナルド・T・ローデン著、森敦監訳『友の憂いに吾は泣く(上)』、 講談社、1983、p.235
※6『同上書』、p.246 7読み下し文は、松波茂夫編『中国名詩選 下』、 岩波文庫、1986、p.490