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北郷裕美氏 昭和58年卒

現札幌大谷大学 社会学部地域社会学科 准教授の北郷さんをご紹介します。

北郷さんは、 昭和58年に日本リクルートセンター(現㈱リクルート)に入社し、制作ディレクターとして活躍されました。

昭和60年に退職後も現場ディレクターとして色々な経験を経て、平成11年に札幌に戻り、三角山放送局にも在籍し、現在にいたるという興味ある経験を経ています。

お住まい:札幌市

現職種:大学教員 、札幌大谷大学 社会学部地域社会学科 准教授

著書:「コミュニティFMの可能性:公共性・地域・コミュニケーション」

・単行本:300ページ ・出版社:青弓社(2015/1/25)                            ・定価:3,000円+税

 

現在までの経歴

昭和58年 日本リクルートセンター(現㈱リクルート)制作ディレクター                    昭和61年 ㈱新映(現㈱アームズ)アシスタント・プロデューサー職                      昭和62年 ㈱ユー・ピー・ユー(現ウィルソン・ラーニング・ジャパン)出版広告営業マネージャー        

平成04年 ㈱映像館 制作プロデュース部長職

平成08年 ㈱GEO(ゲオ)映像制作プロデューサー         

平成10年 ㈱シーマブライダル制作ディレクター                               平成11年 札幌に戻り、フリープロデューサー(映像・グラフィック・ウェブ)                 平成12年 三角山放送局(株式会社らむれす)広告営業部長

平成15年 フリープロデューサー           

平成16年 札幌学院大学大学院地域社会マネジメント研究センター専門員(平成24年3月まで)          平成24年 札幌大谷大学社会学部 准教授(現在に至る)

 

学生時代の部活動や所属ゼミ、学生生活について

1年からハンドボール部とフォーク部に所属していましたが、どちらの活動においても大変不真面目な参加で先輩たちには怒られ後輩たちには疎まれていました。

しかし、今でもハンドボール部の同期たちには親しんでいただいております。                                                   

 

ゼミはわずかな時期の開講でしたが振津隆行先生(現 金沢大学 法科大学院教授)の刑法ゼミでした。当時できたばかりの商学部経営法学コースにありました。

当時は札幌市内に部屋を借り、汽車通学していましたが、時には小樽市内で飲み歩き友人の下宿に泊めてもらうこともありました。多くの友人たちと大いに遊び、もまれたことで、学生時代に社会性を身につけていったと思います。

 

就職について 就職活動はどのようなものでしたか。入社を決めた理由は?

新卒で入社した会社はリクルートセンター(現在の株式会社リクルート)でした。

当時フォーク部の先輩の親族が広告代理店に勤務していたことから、先輩から広告関係の話をよく聞かされていました。そして、花形の職業だったコピーライターに憧れ興味をもつようになり、先輩に誘われるまま、その分野に関連したリクルートセンターに入社しました。

当時は現在のようなエントリーシートから…的な就活ではなく、何回かOBの方々とお会いして行く間に内定が出ました。最終学年時はゼミと放送局のバイトで就活どころではなかったのでいち早く決めていただいたリクルートに入社しました。

 

どのようなお仕事を担当されましたか?印象に残っているエピソードなど

基本的に当時を覚えている方はご存知かと思いますが「リクルートブック」という電話帳を何冊も重ねたような分厚い就職情報誌の幾つかを編集制作しておりました。併せて各企業の入社案内や会社案内も作成しておりました。職種は制作ディレクターだったと思います。                                     エピソードとして内輪ネタは多くありますが、当時のリクルートの内部告発(ほとんど時効)になるので避けたく存じますが(笑)、しいて語れるような話と言えば社員総会当日の早朝から神奈川にサーフィンに行って、総会ぎりぎりにボードを積んだ友人の車で、友達ごと都内の会場に着き、着替えたスーツでごまかせたと思いきや、椅子から立ち上がるたびに大量の砂が零れ落ち、周囲のヒンシュクを買ったことでしょうか…                   マスメディアと制作会社での仕事の両方を経験しました。世間では同じように思われていますが、実は全く別で、力関係があまりにはっきりしているということもわかりました。

その後札幌に戻りコミュニティFM局に入社しました。

                                                       何故大学の教員に

それまで自分がやってきたメディアというものをあらためて研究、総括して、コミュニティFMのような小さなメディアの力を一歩引いた形で世間に伝えるためには、大学の教員であることが一番と考えたからです。その後、大学院で学び、現在に至っています。

 

著書「コミュニティFMの可能性:公共性・地域・コミュニケーション」青弓社

 

コミュニティFMの様な小さなメディアの力をもっと世に知らしめたい、可能性を伝えたいと思い、今までこの世界に入って書いてきたことをまとめ、実体験も含めて出版しました。

私たちはマスメディアから多くの情報をもらっていますが、地域の細かい事はマスメディアの手には負えません。それに対して、地域メディアは自律し、独立し、その地域に根をはっています。ラジオという媒体の特性も合わさって、今後より必要になってくると思います。小樽には「FMおたる」もありますし、是非同窓の方にお読みいただければ幸いです。

 

後輩たちへのアドバイス

社会人になるまでに身に着けて置くといいことは。

大学での学びはひとえに人間関係、集団のなかでの立ち居振る舞いに尽きると思います。

全てが長幼の序という意味ではなく、先輩、同期、後輩の中で我侭や個人主義を主張して撃沈したり上手くいったりを繰り返して大いに自身を鍛えることです。

4年間これを続けると、知らず知らずのうちに結構いろいろな思考や行動が蓄積されていますから、社会に出てからの理不尽さにも耐えられたり応用を利かせたりすることが可能になります。              これを一言で言えば「仲間と大いに語りあい喧嘩し騒ぐ」ということでしょうか?この経験が4年(場合によっては私のように?それ以上)のモラトリアム期間に必ず得られることでしょう。

 

その他メッセージをお願いいたします。

アドバイスにならないような気がしますが、学問をしたいタイミングが大学時代であったら良かったなあと自分はいまさらながら思いますが、皆さんも一度社会に出てからその思いをもったなら、チャンスです。迷わず学校(大学院)に戻ることをお奨めします。社会人が学ぶための制度やシステム、環境は自分の学生時代より現代のほうが圧倒的に豊富です。ですから焦らずにできるだけ単位は落とさず(自戒の念を強くこめて)「仲間と大いに語りあい喧嘩し騒ぐ」事を怠らずに卒業してください。大学で一生の友人が出来ることは何にも代えがたい財産です。  

 



想いでのシーン

学生時代、ハンドボール部の遠征合宿。赤いトレーナーで後ろから抱き着かれているのが北郷氏

ハンドボール部の遠征合宿。前列右から二人目の黒い革ジャンにメガネが北郷氏

最近の様子 ゼミ生とラジオ番組を行っているスナップ